2011/07/02

なんとなくできあがる世界

TIME PAINTING at "Ur-netica rec LIVE!"-Take.01-  UrBANGUILD, Kyoto  Date : 2011.06.21  Photo : Nuffy

更新がだいぶ遅くなってしまった。つくりかけのblogも溜まってしまった。その間にもいろいろなことは通り過ぎていき、もう時系列もよくわからなくなってしまう。 朝起きたときに、いまが何月か分からなくなるのは、きっとそのせいなんだと思う。

06.21"Ur-netica rec LIVE!"無事に撮影終了。この日は昼間UrBANGUILD内でミュージシャンによりレコーディングが行われ、夜は映像用のLIVE風景の撮影。それで、普段の"Ur食堂 LIVE!"ではなくて、"Ur-netica食堂 LIVE!"。ディナープレートが食べられる、フリーチャージのイベントだった。いつものLIVEと違うことが重なって、すごく面白かった。

TIME PAINTINGの投影も、定位置と化してきたPA前(実際あの場所がすごく落ち着く)から、ステージ正面のフロアの真ん中(映像撮影優先!)に移動。めちゃくちゃいい場所!やりやすい。やはりいつもの同じ空間のなかでも全然見え方、感触が変わることを実感した。あー、あたり前のことなんだけど。 


前からメロウさんのペインティングの世界に色を塗るようなことがしたかった。05.01も共演していたけれど、今回近い位置でじっくり競演できたのは本当に嬉しかった。次郎さんが最後まで調整をしていた回転する黄金の羽根(人力でまわる)。そこに黒いドットが描いてある。壁にもドットがぽつぽつ。音楽が始まった瞬間に、僕が光を投影したときから、その見え方がまったく変わってしまったのを覚えている。

音楽は、コントラバス+チェロ+ヴァイオリン+馬頭琴(!)という不思議な弦楽四重奏+MIDIアコーディオンといういずれにしてもはじめてみる組み合わせ。この日の音はすばらしかった。透明感があって、細かい繊維でできているんだけど、かたい布がうえにのぼっていくような音。そこにryotaroさんのアコーディオンの暖色系の音が絡み付いていく。弦の太い音と細い音によってできているとても物質間のある像が空間のなかにあった。

でも音についてはあまり覚えてない。いつもLIVEの時に意識がのめり込むと時間のなかで記憶がはじけとんでいきます。それは良かったってことじゃないんだろうか。すごく充実した時間だった。ありがとう次郎さん。

TIME PAINTING at "Ur-netica rec LIVE!"-Take.02-  UrBANGUILD, Kyoto  Date : 2011.06.21  Photo : Nuffy

次郎さんblogでも語られていたけれど、撮影してもらったなかにいい写真がたくさんあったのでスライドショーにしてみました。こうしたらたくさんの写真が載せられる。途中、飽きなかった人だけ全部みてくれればいいや。そんなつもりです。
僕のパフォーマンスは映像に記録するよりも、写真のほうが実際の感覚に近いんじゃないかと思うようになった。写真は、ひとコマになってしまうけれど、その分いろいろな場面を様々な角度で切れる。そのうえ刻々とイメージは変化していくのだから、枚数をたくさん見せたくなる。欠けている部分があるからこそ大きく膨らんでいく気もする。


今回撮影もしていただいたキュピキュピの江村さんとエムララボの方々が、05.01のUr-netica公演の写真や映像と合わせて編集してくださり、プロモーションビデオができあがるそうです。UrBANGUILD5周年企画の一環でしょうか。01日のあのカオスな空間がどのような映像になるのか、非常に楽しみにしています。


そして、09月にまたこの"Ur-netica"が絡むすごい企画が…。お楽しみに。

* * *
"Ur-netica rec LIVE!"
2011.06.21 [tue] at UrBANGUILD, Kyoto 
演奏 : 清水恒輔 (mama!milk, トウヤマタケオ楽団 etc) /宮嶋哉行 /ryotaro/ 辻崇 / ヨース毛(ザッハトルテ)
美術 :
足田メロウ / 福西次郎 / 仙石彬人
ダンサー : 木村英一 他
撮影 :
江村耕市 (Kyupi Kyupi) / エムララボ
録音 : 粕谷茂一

リハーサルの時に、出演者の間でも話題になってましたが、TIME PAINTINGのイメージってまったく食が進む気がしません。ずっと出てみたかった"Ur食堂 LIVE!"。念願はかなってみたものの、もう出演できないかもしれないですね…。笑

* * *


「なんとなくできあがる世界」

LIVEのあとずっとこんな言葉があたまにうかんでいた

音があって 絵があって 光があって
具体的なものは
あまりにもない

時々おもいだしたように回る羽根
音楽を演奏している人たち
絵を描く人
ただそれくらいだろう

目のまえに
そこにあるのは
モノのような
存在感だった
消えてなくなったから
それが「なんとなく」というコトバになってしまったが
ネガティブな印象は
まったくない